スタジオキャンパスは2007年2月に自由が丘で産声をあげた中学受験専門塾です。以来10年間、自由が丘の地で子どもたちの中学受験指導をおこなっています。進学塾激戦区の自由が丘ではありますが、おかげさまで毎年多くの子どもたちが中学受験勉強に励む活気ある塾になりました。そして、一昨年2月、三田校を新規開校しました。自由が丘に加え、これから三田でどのような歴史を刻んでいけるかがとても楽しみです。
さて、わたしたちはこれまで入試が終わるたびに当該年度の状況を顧みて次年度に向けてメンテナンスを施しつづけてきました。指導システムの改変や各種講座の新設など、子どもたちや保護者にとって「よりよい塾」をこれからも希求しつづけていきたいと考えています。
そのような中、スタジオキャンパスには創業以来「変わらないもの」があります。それが教育理念です。
「自ら教わり育つ、たくましい人間の創造。」
――これがスタジオキャンパスの掲げる教育理念です。自分で言うのもなんですが、わたしはかなり気に入っています。
子どもたちを長年教えていると気づかされることがあります。
それは、教育の主体はあくまでも「子ども」自身にあるという点です。
拙著『iPadで教育が変わる』(マイコミ新書)を一部引用して説明したいと思います。
たとえば、最上級の授業技術を有していると賞賛される敏腕教員がいるとしよう。果たしてその教員は指導対象である子ども全員の成績を伸ばすと言い切れるだろうか。言い切れるわけがない。学ぶことを放棄した子どもにとっては、今ここで受けている授業の内容など「端からどうでもいいこと」なのだ。
学ぶ意欲を失した子どもの前では、いかなる敏腕教員であってもたちまち無能な人間に身を落とす。
「教育」とは、受け手が送り手に「あなたから何かを学び取りたいのだ」というシグナルを送信することで初めて機能する。
このことは幼児を例にとってみれば分かりやすいだろう。
幼児は「誰かに教えこまれる」ことでことばを獲得するのか。
そうではないだろう。自分の周囲に飛び交う「なんだかよくわからない音」と「その音が指し示す対象物」を結びつけることで初めて「ああ、なるほどね(とは言わないが)」とひとつひとつのことばを胸に刻んでいくのである。
当然、この場合、幼児がその「対象物」を「知りたい」「分かりたい」と興味を抱かねばならないことが前提となる。
「教育」ということばはしばしば他動詞で解されます。すなわち、「教え育てる」ことであると。しかしながら、わたしはこの語を自動詞で解したいのです。「教育」とは子どもが「自ら教わり育つ」ように周囲の大人たちが導くという間接的な所為であるということです。
中学受験の経験を通じて得た「自ら教わり育つたくましさ」。こういう姿勢は、子どもたちが将来社会で活躍できる原動力になると確信しています。わたしたちは「合格の、さらにその先」を見据えた塾でありたいと決意しています。
最近、CMの影響でしょうか。お問い合わせの保護者から「ウチの子の○○スイッチを押してくれませんか」と依頼を受けることがあります。
しかし、わたしたちの役割は「学びの世界へ子どもを振り向かせる」ことです。つまり、○○スイッチを起動することができるのは子ども本人だけです。
もちろん、わたしは巧言を弄して責任回避したいわけではありません。スタジオキャンパスは子どもたちが「自ら教わり育つ」姿勢を導き出すためのきっかけづくりに精励してまいります。スタジオキャンパスは他のどの塾と比較しても、そのための工夫が随所に設けられています。
「自ら教わり育つ、たくましい人間の創造。」
スタジオキャンパスで学ぶ子どもたちは中学受験を通じてその姿勢を身につけてくれることでしょう。
スタジオキャンパス 代表
矢野 耕平